ヘリバッグ縫製中で針が折れ、針を取り替えても糸締りが悪く修理を依頼する。
当社の工業用ミシンを長年見て下さっている細井 正吉さん、今年で94歳になります。
数年前より修理しながら「いつまでも来れないので教えた事を皆で忘れず小さい事は自分達で
直す様にして下さい」と話しされ、分かっているが今回も、どうにもならずお願いした。
結果、釜がずれており、細井さんの手で修理完了。
越田さんが試し縫いをしています。
ついでにロックミシンのカットする刃も研いで下さった。
「新品にせずとも修理や手当て次第でミシンは長く使えるよ」と。
今回も細井さんに習う事ばかり。
細井さんの誕生日は2月26日、私の父と偶然にも同じ月日で年齢の差はあるが
何かしら大正生まれの一本筋が通るところは同じ感じである。
今回興味深い事を話され、私達だけでは・・・と思いブログに載せることにしました。
細井さんは戦前、大阪の朝日ミシンで組立の仕事をしていたが、その後海軍に入る、
そして派遣された先はブーゲンビル島。ラバウルとガダルカナルの中間にある島で部品基地になっていた、
この島での細井さんは海の見張りが役目で交代制であった。
ある日、当直で見張台にいた折、陸離27,000キロ手前で米軍の戦闘機に日本の攻撃機が狙撃され
撃墜されたのを双眼鏡で目視する。
攻撃機には連合艦隊司令官 山本 五十六が兵隊を激励する為ウバウルから二機に分乗し
部品基地へ向かっていたので日本兵では細井さん只一人が双眼鏡で確認、
しかし当時この事は伏せられ内地に発表されたのは「随分後の半年ぐらい経ってから知らされた様や」
と話された。
戦後生まれの私と女性陣達も「うん、ほう~」とうなづくだけ。
もう少しで8月15日終戦記念日