先日、建築関係の皆様と黒書院(通常非公開)見学に同行させていただいた。
行きの車内で煙草王と言われた 村井吉兵衛の住宅を1928年(昭和3年)に東京赤坂から移築した事、
吉兵衛は明治時代、白山市で栽培されていたタバコの葉を京都に運び各地からのタバコを含め
商いが伸び、事業が段々大きくなり富を得た等と紹介された。
入口門を抜けると建物が見えてきました。
玄関は仁和寺と同じ様式で総檜造り。
玄関から先は撮影禁止でした。
靴を脱いですぐ両脇の襖から廊下の襖、全部タバコの葉の絵柄であった。
廊下を抜けると旭光の間となり、奥の間と大広間、武者隠しもあり
二条城の黒書院の様式を移した大名書院造りである。
特に床の間前の畳は長さが3間1枚物で、白黒の高麗縁付、たまに長物で2間(約3.6m)の畳を見るが
3間(約5.4m)物は始めて見る。
これは高貴の方が座る所に継ぎ目がない様にと言う配慮かららしい。
旭光の間横は通路(縁側)の様だが全部畳敷きで紋べり付、又ここの硝子戸の細工が素晴らしい、硝子は
ベルギー製で1枚の硝子戸でベンツ1台買えるとか!?戸の枚数を数えてみたが30枚以上はあった。
当時、金に糸目をつけずに建築した様子がうかがえる。
赤松の間、ここの釘隠しはタバコの葉2枚重ね重ねのデザイン。
庭は枯山水、2階の書院各部屋もいい造りであった。
建物の周りにもみじの木が多く、紅葉には少し早かったが、さぞ美しいであろう。
延暦寺会館での昼食、すごいごちそうです。
会館から天気が良い時、この方向から白山や立山も見えるとガイドさんより伺う。
吉兵衛はタバコのネーミングを当時ではハイカラな「サンライス」とし、
デザインもモダンにしてそれが当たり大ヒット、日本一の生産となった。
しかしタバコが専売制になった為見返りに莫大な賠償金を得る。
吉兵衛はそれを元に銀行、汽船、鋼業等設立し事業をしたが昭和大恐慌により破たんした。
その後、黒書院は延暦寺に移築された。今回の見学も内容が充実して楽しいバス旅行でした。
この日は、晴れて気持ち良い日となったが肌に当たる風は冷たかった。